2020年06月06日

新生活スタート

先日、無事退院し施設の方に迎えに来ていただきそのまま入居しました。
前日に契約を済ませたのですが、久々に事務的な事に長時間費やしたので
頭から湯気が出そうでした(笑) ※それくらい普段ぼんやりと生活してます

退院直後の母は、もう見るからにやせ衰えていて、かなりショックを受けました。
目も虚ろで覇気が一切無い。
急性期病院への入院だったのである程度は仕方ないと思ってはいましたが、
予想以上の衰えぶりに気落ちする私。

ホームに到着し、部屋に入るとワラワラとヘルパーさんや看護師さんが集まり、
清拭、着替え、バイタルチェックなどが行われました。
されるがままの母。 とにかく筋力が落ちているようで手も顎もガタガタと震えてる。
足を触れれるだけで「ひぃーーー」と痛そうに顔をゆがめる様子に
私はとにかく「本来はこんなんじゃないんだ」と何度も施設の人に訴えました。

現在、新型コロナウィルスの関係で面会は禁止なのですが、
入居日&荷物持ち込み時は部屋に入れていただきました。
安心できるまで毎日長時間付き添っていたいところですが、仕方ないですね。

入院時も病室に入れなかったので様子をたまに伺ったり
着替えを持って行くついでにちょこっと顔を見たりした程度だったので、
様子が細かくわからない分、気持ち的には病院に丸投げできていました。
ですがこんなに衰えてしまった母を見てしまったからにはもう心配で心配で、
ホームの方が格段に快適なはずなのですが、私の心配は逆に大きくなっています。

「どんな些細な事でも、そして何度でも聞いてくださいね」と言ってもらっているので、
本当に超細かい事でもなるべく聞いて心配を解消して、早く安心したいです。
母自身はと言うと、翌日にはだいぶ顔つきもリラックスしていました。
すでに3週間、家族のいない環境でいたわけですからね。

家で母を見ていた頃に、ケアマネさんや訪看さんに「よく世話をしている」的な事を
何度も言われていて、私的にはピンと来てなかったのですが、
今この私の心境を考えると、ああ、私って母に対して過干渉で過保護だなと思います。
心配性でもありますし。

様子を細かく知ってしまった分、私の心配に思う気持ちはまだまだ解消されませんが、
少しずつ心配に思う事を解消して、早くホームにお任せできるようになりたいです。

posted by 梅☆ZOO at 07:55| 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月31日

母のこと 2

東京オリンピックは、老人ホームの広間で見ている…
随分前からなんとなく漠然とそんなイメージを抱いていました。
急に検討したわけではなく、数年前から選択肢の1つでした。

今年に入ってからは具体的に来年春の入居!と目標を立て、
3月には数か所見学に行ったりしていました。
この頃検討していた施設は、どこも満室で待機の方もいたので、
早めに仮申し込みをした方が良いとの判断です。
個人で動いたのではなく、その頃相談に行っていた漢方薬局で
老人ホームの紹介業もやっていると教えてもらい、
そこに間に入っていただいての見学でした。
地元に特化した紹介業という事もあり、いろんな現場の情報を
的確に伝えてもらい、私のチョイスにも太鼓判を押してもらったりして、
最初から安心感がありました。

新型コロナウィルスの関係で見学も自粛の動きがあり、
来年の春の入居を検討している私たちが今見学するのはご迷惑かも…と
しばらく中断していたのですが、今回の体調悪化に慌てて見学を再開しました。

見学の予約を入れた日の母の介護をどうしよう…なんて困っているうちに
入院する事になり、母の心配をせずに見学に行けたのも凄いタイミング。

今回は、3月の頃とは条件を多少変えて24時間看護師さんがいる施設を探しました。

ネットで検索すると、数件ヒットしました。
それを紹介業の方にお伺いのを連絡すると、1つは3月に薦めてくれていた施設でした。
あの頃は少し距離があるからと、私がピンと来てなかったのです。
そしてネットで見る限り、空室がある!

新型コロナの関係で見学者も減り、空室が3月より若干増えてました。

弟にも同行してもらい、見学に行ったところ…
これがもう素晴らしくて。
一体何が素晴らしいかと言うと、施設は当然なのですが、スタッフの方の雰囲気。
施設の方にも「何を求めますか?」と聞かれ、私は「人」と即答しました。
人との相性が悪ければ、どんなに素晴らしくてもしっくりこない事は
いろんな場面からも学んでいたので、違和感無く次から次へと言葉が出る自分に
「これはきっと正解」と感じました。
ちょっとでも違和感があると、とたんに口数が少なくなる私の判断方法です(笑)

会話が弾んで、母がここに住まう事が具体的に想像ができ、
終わりの方で入居者さんの様子のお写真見せてもらった時には
その写真に母が写っていないのが不思議に思うくらいでした。

見学後は急展開で、今はもう母の退院日さえ決まれば入居の状態です。
検討から決定まで10日あったかしら…

その後、母の状態は落ち着き、今は熱も下がり安定しているようなので、
退院が決まりました。
退院後、そのまま入居です。
その辺りの展開も「待ってーー」と言いたくなるくらいスムーズで、
「きっと正解なんだ…」と再び確信。

というのも、恐ろしいくらいにスムーズに事が運ぶ事があり、
今回もまたそれでした。
油断すると「本当にこれで良いのだろうか…」と不安に襲われますが、
スムーズ具合を思い出しては自分に納得させています。

母の気持ちを書いていませんでしたが、母も体調を悪くしてからは、
もうどこでも良いから老人ホームに入りたいと言い始め、
見学もしていない頃から「いつ入れるんだ」「明日?」と、
強く入居を希望していました。
家で夜を迎えるのがとにかく不安で、それが入りたいと強く訴えるきっかけに
なったようです。
※いざ入居してからは寂しい、帰りたいと言うだろうな…と覚悟していますが

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無我夢中だったここ数か月から、突然自分の事に集中できる日々が戻ってきましたが、
濃厚なここ数か月の体験は強烈で、今も夜中に何度も目が覚め、
それは母に起こされた時刻なのです。
声が聞こえたような気がする事もあります。

それでも最近はクマ作業も再開し、父との二人での生活もリズムができてきました。

余裕が生まれてきたのか、考え事も増えてきました。
そして気付いてしまいました。
「母と一緒に生活できないのは寂しい」と。
それまでは自覚無しでしたが、母と私は仲良しでした(笑)
ここ最近は看病とか介護の面ばかり見ていたので、早く逃れたい!という思いで
いっぱいでしたが、手が離れたと思ったとたん、猛烈に寂しいです。

決して父と仲が悪いわけではありませんが、知らず知らずのうちに母と私は
濃密な間柄になっていたようです。
どんなに状態が悪くとも、母も私もユーモアを忘れません。
そういういついかなる瞬間にもユーモアを持った会話というのは、
母との間にしか存在していないかもしれません。

父もそういうタイプでしたが、ここ最近で歳を取り勘も鈍くなりました。
なので、母との絶妙な会話とは程遠いのです。

考えてみると、それは母の介護を始めた5年前くらいから構築されたものだと思います。
介護によって、ものすごく母との距離が縮まり、今では共依存??とすら思います。

でも変化の時を迎えました。
これはもうずっと覚悟していた事だし、不安半分期待半分なのも正直な気持ちです。
何を選択したら正解なのか…というより、選んだ道が正解なんだと信じたいです。
後悔もするだろうし、今の想像では及ばない何かが待っているかもしれません。

変化を嫌う私ですが、もう現状ではそう言っていられなくなりました。
本当の意味でのNEW梅ZOOのスタートが待っているのだと思います。

老人ホーム入居後の事はまたどこかのタイミングで書きたいと思います。

posted by 梅☆ZOO at 09:00| 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

母のこと

激動の半年を経て、今少し気持ちが落ち着いてきたので母のことを書きたいと思います。
とは言っても、Twitterでは大騒ぎしておりましたが💦

半年…とは言ったものの、介護が始まったのは5年前になると思います。
それまでは通院等も母任せで、私はほぼタッチしていませんでしたが、
後期高齢者となった5年前にスイッチが切り替わったかのように
母の体調は崩れていきました。

健康診断の数値や先生から言われた事を呑気に話す母とは裏腹に
「そ、それ…かなりヤバいんじゃない?」と青ざめた私が通院に付き添うようになりました。

持病は緩やかに悪化していき、2年前から大学病院に通うようになりました。
悪いなりにも安定していたのですが、去年の夏の終わりに薬の副作用から緊急入院。
その際は10日弱で退院しましたが、使える薬は少なくなっていきました。
※手術や苦痛を伴う治療等が必要な疾患ではなく、
でも完治はしない内臓疾患を2つほど…という感じ

そしてそれまで服用していた薬の効果が薄れているような状態でいた去年暮れ、
その内臓疾患からの影響で、婦人科で問題が発生しました。
これも命を脅かす疾患では無いのですが、唯一完治の方法としては手術。
ただし、母の場合は内臓疾患の関係で手術はできないとつい先日確定しました。

今年に入ってからは婦人科疾患の悪化で生活の質が明らかに落ち、
通院しても改善しない様子に母もだんだん気力が落ちていくのを感じました。
それまでは不便だけの症状だったのが、出血や痛みを伴うようになってからは
音を立てて状態が悪くなり、それと共に内臓疾患の方でも苦痛を訴えるようになり、
常に苦痛が伴う事により、母は苦痛に対してどんどん過敏になっていきました。

大学病院は少し遠く、通院自体に苦痛を感じ始めたので、隣駅の比較的近い総合病院へ転院。
私としては、近くになった事により通院が楽になり、さらに将来的には
専門外来にいくつもかかるのではなく、訪問診療も視野に入れていました。

この現状をどうにか変えたくてケアマネに相談するも、要支援2の頃からお世話になっていた
ケアマネは具体的に動いてくれず、私も初めてのことでどう動いて良いかわからず、
相談しても相談止まりという現状にストレスをためていきました。

有料老人ホームを検討している旨を伝えてからは、明らかに消極的になっていったケアマネ。
でも母の状態は悪くなる一方…
現状を話しても「そうですか…困りましたね…」…で終了。
もしくは『困った笑い』とでも言うのかな…相談すると「わっはっはっは…」と笑うケアマネ。
※この笑いは今でも許せず、思い出すと怒りがこみ上げてきます。
相談しても何も対処できない毎日に、私も我慢の限界を迎え、
去年お母様の介護と看取りを終えたばかりの友人に相談しました。
介護中にも偶然スーパーでバッタリ会ったりして、なんとなく様子も聞いていたので、
彼女の顔がパッと思い浮かんだのでした。

すると、友人は即座にケアマネに連絡を取ってくれて、橋渡しをしてくれました。
初めて相談の電話を入れた2日後には、新ケアマネに変わっていました。
※相談のタイミングがちょうど良い時期だったみたい

新ケアマネは、即座に区分変更の依頼や、訪問看護を付けるなど、的確に動いてくださり、
それまで、顔も見ずにハンコだけもらって逃げるように帰っていく旧ケアマネとの差を痛感。
老人ホームに入居が決まるまでこのままで良いかな…という考えもあったのですが
そんな考えでいた事を恐ろしく思えるほど、新ケアマネになってからの心の負担は軽くなりました。

ただ、母の心身は悪化の一途を辿り(決して持病の悪化ではなく)ここ2ヶ月ほどは、
もうどこが原因の苦痛なのかわからず、常に続く苦痛から不穏な状態が起こるように…
訪問看護は週2回の予定でしたが、連休中などは毎日緊急に来てもらうくらい、
母の心身は悲鳴を上げてしまいました。

この1ヶ月ほどは、母のベッド下に私の寝床を作り、日中も常に母の部屋近くの居間に待機して、
24時間母の様子を見守る事になりました。
初めのうちは作業できる材料を持ち込んだりしていましたが、
寝不足や終わりの見えない生活にだんだんと疲れがたまっていき、
連休の頃辺りから、もうただひたすら母のお腹をさするだけの生活となりました。
30分目を離す事も難しいような状態に、私も万策尽きる思いでパニックになりました。

その間、訪看さんの存在がどれだけ支えになったか…

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言で外出自粛のさなか、
普段以上に病院に通う日々…
車椅子からタクシーに移乗するのが困難になってきていたため、
乗り降りせずに済む電車移動で通院しました。
外出自粛の影響で電車が空いていたので助かりました。
(一駅とはいえ、やはり感染の恐怖があったので)

連日通院する状態に疲れ、介護タクシーも視野に入れていた先週、
通院治療の翌日に体調が急変しました。
がたがたと震え、高熱を出す母…
ちょうど訪看さんが来た時だったので、看護師さんの判断で即座に病院に連絡を取り、
救急車のお世話になり緊急入院しました。
救急車で運ばれる翌日から治療のための入院が決定していたので、
せっかちの母らしい、前倒し入院となりました。

元々来年春の老人ホーム入居を検討していたわけですが、
退院後に介護する気力体力にすっかり自信を無くした私は、
家族にも相談し、そのまま老人ホームに入居する選択をしました。


そこから先の話はまた次の投稿でしたいと思います。


本当は病名や具体的な症状も細かく書いた方が、どなたかの参考になったかもしれないのですが、
母の個人的な情報なので伏せておきます。
posted by 梅☆ZOO at 09:28| 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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